仰のブログ

94年生まれ、都内在住。文学、映画、音楽に給料をつぎ込む。

『ミッドサマー』・『コンビニ人間』が示す、個性を殺して歯車として生きる快適さ

  1936年、チャップリンは『モダンタイムス』で機械文明の恐怖を描いた。労働者の個性は無視され、歯車のように扱われる工場を笑い飛ばしている。


Charlie Chaplin - Modern Times (Trailer)

 

 現代でも社会の歯車になって無個性で生きるのはあまり支持されていない。ひとりひとり個性を活かし、自分らしく生きることこそが幸せだと教えられている。

 

 でも本当にそうなのか。

疑問を持つきっかけとなる作品を2つ紹介する。

※ネタバレ含む

 

 1つ目は2016年出版の『コンビニ人間村田沙耶香著)』。

 主人公は36歳未婚、正社員として就職はせずにコンビニアルバイトを続けて18年。子供の頃から「普通」ではなく、友人も恋人もいない。

 どうすれば普通になれるのかと悩んでいた彼女が学生時代に始めたコンビニバイトで「世界の正常な部品としての私が誕生した」という感触を得る。コンビニ店員に個性はいらない。マニュアルに沿って品出しやレジ打ちを淡々とこなす姿は機械のようだ。「店員」になることで普通の人間として社会とつながる実感を得た。

 しかし一般的な幸せ像とはかけ離れているため周囲からは「結婚しないの?」「なんでアルバイトなの?」と頻繁に聞かれる。「そんな生き方は恥ずかしい」「底辺だ」と言われることすらも。

 迷った彼女はコンビニバイトを辞めて別の生き方を模索するが、結局コンビニバイトに戻ることを決意。迷いや個性を捨て社会の歯車になることが彼女にとっては救いだったのだろう。

 同書は芥川賞を受賞し、2018年には累計100万部を突破した。

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 

  2つ目は2020年2月公開映画の『ミッドサマー(アリアスター監督)』。

 主人公の大学生ダニーは不幸な事故で家族を失くした過去がある。トラウマに苦しむダニーを、彼氏のクリスチャンは重荷に感じており、クリスチャンの男友達らもダニーをうざったく思っていた。

 そんな中、ダニーやクリスチャン、男友達らはスウェーデンの奥地ホルガ村で開催される「夏至祭」に行くことになる。美しい風景と優しい住人にもてなされ上機嫌な一行だが、外界から隔絶されたこの村の異常さにだんだん気がついてくる。グロテスクな風習、失踪する仲間。そして祝祭の本質に気がついた時には完全に手遅れ。男達には最悪な結末が訪れる。

 しかし訳あってダニーは女王として村に迎えられる。ホルガ村の住人は1人の苦しみに全員が共感し寄り添い、決して孤独にさせない。家族を失った悲しみも埋めてくれる。十数人が共に泣き叫ぶ姿はそれぞれ独立した人間ではなく、1つの大きな塊のようだ。

 住人らはダニーに村社会での仕事も与えてくれる。これからは村を持続させるための歯車の一つとなり、役割(生殖マシーン)を淡々とこなすだけ。自分をうざったく思う人もいない。みんな家族。ラストシーンの笑顔が、カルト集団にも見えるこの村がダニーにとっては救いであることを物語っている。


『ミッドサマー』本国ティザー予告(日本語字幕付き)|2020年2月公開

 

 最近はYouTuberやインフルエンサーの活躍により、「自分らしく生きよう!」というメッセージがより広まっている。もちろん個性を伸ばして生きることは素晴らしいが、そんな風潮に疲れてしまった人もたくさんいるだろう。

 今後は上記2作品の様に、歯車の1つとして没個性的に生きる姿に共感する人が増えるかもしれない。